既に、羽入論考批判については、最終版を公開済みである。筆者としては、学術論文としては非常に疑問のある羽入論考への批判をこれ以上続けることに積極的な意義を見出し得ていない。
今回発表するのは、きっかけとしては羽入論考批判から発展したものであるが、筆者としては固有の英訳聖書研究、固有の「プロテスタンティズムの倫理」研究として考えている。
もとより、どちらの分野でも筆者は専門家ではないが、専門家でないゆえにむしろ虚心に取り組み、
いくばくかのこれまで指摘されてこなかった事実を明らかにすることができたとすれば、筆者の喜びとするところである。本稿ではその後の調査で明らかになった、ジュネーブ聖書を巡る若干の興味深い事実を紹介する。
ジュネーブ聖書は、メアリ治世のイングランドから、スイスのジュネーブに亡命した、カルヴァン派によって翻訳された聖書であることは、
既に紹介済みである。亡命者が翻訳した、という点だけでも、既に十分「政治的」な色彩を帯びているとも言えるが、さらに興味深い事実が、
ジュネーブ聖書の新約部分を1576年に改訂したLaurence Tomsonについて存在する。
Tomsonは、エリザベスの国務大臣であった
Sir Francis Walsinghamの私的秘書であり、またジュネーブ大学でギリシア語の講師をしていた。
1) このWalsinghamは、エリザベスの元で国内および国際諜報組織を作り上げ、メアリの反逆を暴いて死刑に追い込んだり、
スペイン支配下のオランダへの独立支援を行ったり、またフランスのユグノー(カルヴァン派)を秘かに支援していたりした。
つまり、映画の007に出てくるMI5やMI6を最初に作った人になる。TomsonもWalsinghamの秘書であり、なおかつ
ジュネーブという中立的な都市にいたことを考えれば、
Walsinghamの手足として、彼もまた諜報活動に従事していたのではないだろうか。当時既にジュネーブは国際金融都市であり、たとえばスペインはジュネーブの金融筋から軍資金を調達しようとした。
その金塊をスイスからスペインに輸送中にイギリスの港に立ち寄り、そこでイギリスにその金塊を強奪されたりしている。こうした活動に、Tomsonもまたからんでいたのではないかというのが筆者の想像である。
ジュネーブ聖書の注に出てくる明確な「反カトリック」の姿勢も、明らかにこのような政治性の賜のように思うが、
1557-1560年版の翻訳者達がどこまで純宗教的であって、どこまでが政治的であったかは、はっきりとは区別できない。
ただ、さらに面白い事実としては、筆者の論考で再三紹介してきた印刷商Christopher Barkerも、上記のような「カルヴァン派国際政治ネットワーク」にまた深く関わっていたことが挙げられる。
Barkerがなみいる競争者を押さえて、王室から特権と独占権付きの印刷商の資格を得ることができたのは、彼がWalsinghamとの強いコネを持っていたからのようである。
2)
さらに、Barkerがこうした特権を得て、最初に印刷した英訳聖書が、1576年のジュネーブ聖書Tomson改訂版の最初の版なのである。
さらに付け加えていうならば、
筆者の第3稿で言及したThomas Vautrolierというフランスの印刷商だが、彼もユグノーであって、それ故に迫害を受け、イングランドに亡命して来たのである。
3)
エリザベスを支えた大臣の中には、Walsingham以外にも、レスター伯など、ピューリタンの保護者が多くいたようである。
エリザベス自体がどこまでピューリタンに寛容であったかは議論が分かれるところだが、少なくともカトリック国であるスペインと戦って勝利を収める1588年頃までは、
エリザベスの政治スタッフはかなりの部分、親ピューリタン的であった、といっても言い過ぎではないと思う。
また、直接ヴェーバーとは関係がないが、1599年にジュネーブ聖書のヨハネ黙示録の部分の脚注がFrancis Junius(これもユグノーの神学者)によって改訂されているのは、
当時の終末思想、千年王国思想と関係がありそうである。
すなわち、ヨハネ黙示録や旧約のダニエル書によって預言されたこの世の終わり、キリストの再臨を次のように計算する。ローマ教皇を反キリストと定義し、その出現をAD400年頃とした場合、
ダニエル書12.7にある「一時期、二時期、そして半時期たって」を「500+500+250=1250年」とし、合計して1656年が終末の年だとされたのである。
4)
この改訂自体も、その終末感と反カトリックを結びつけた政治性がこめられた注釈改訂であり、そのために具体的な法王名まで入ってきているのではないかと思う。
以上のような事実から、ヴェーバーの言う、
"die
hoeffischen anglikanischen Bibeln der elizabethanischen
Zeit"を再度解釈してみた場合、まず"hoeffischen
"=宮廷の、という部分については、
(1) 単純に、宮廷から許可と独占権を得たBarkerのような印刷商が印刷した聖書、という意味
(2) イギリス国教会の主教達が主に使用した「主教聖書」や「大聖書」ではなく、それ以外の目的で使用されたのを「主教」との対概念で「宮廷」と呼んだ
(3) エリザベスの宮廷政治家のうちのピューリタン支援派によって「政治的に」翻訳、印刷された聖書
のどれかまたはいくつかであると理解することができると思う。(さすがに(3)の事情までヴェーバーが把握していた、とするには現時点では証拠不十分ではあるが。)
また、"anglikanischen"=イギリス国教会の、の部分については、カルヴァン派、ピューリタンに好まれた聖書を「イギリス国教会の」とすることに違和感を覚える向きもあるかもしれない。
しかしながら、「1640年以前に『ピューリタン』と『アングリカン』を分けることは、時代錯誤であると同
時にまったく道理に反している。『ピューリタン』は、
『主教派』あるいは『ロード派』など様々な名で呼ばれる人々とまったく同様に、
アングリカンであった。」5)
のであり、エリザベスの時代について、ピューリタンを含めて「アングリカン」と呼んでも、まったく問題はないのである。
以上
脚注
1) http://encyclopedia.thefreedictionary.com/Laurence%20Tomson
を参照。
2) http://special.lib.gla.ac.uk/exhibns/printing/
を参照。
3) 注2と同じURLを参照。
4)
法
政大学出版局、クリストファー・ヒル著、小野功生訳、「十七世紀イギリスの宗教と政治」、p.335、クリストファー・ヒルは16-17世紀のイングランド史にもっとも定評ある歴史家。
5) ク
リストファー・ヒル、上掲書、p.11